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東京高等裁判所 昭和36年(う)2248号 判決

被告人 田中上 外一名

主文

原判決を破棄する。

被告人両名を各罰金五千円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五百円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置する。

原審の訴訟費用は全部被告人両名の連帯負担とする。

理由

控訴趣意の要領は、原判決は本件公訴事実につき犯罪の証明がないとして無罪の言渡をしたが、これは採証の法則を誤り事実を誤認し、当然有罪と認定すべきを無罪とした不当の判決であるというのである。

よつて原判決、訴訟記録及び原審において取り調べた証拠物並びに当審の事実審理の結果を仔細に調査して考察するに、原判決は本件公訴事実に符合する被害者寺西要の証言は(一)反対尋問に対する供述と態度(二)人事院の労働省事案口頭審理速記録謄本の記載(三)原審の検証の結果(四)証人為田清の証言その他に照し措信できないし、為田清作成の診断書は採証の用に供し得ず、他に公訴事実を証明するに足りる証拠がないと判断している。そこで先ず第一に原判決の挙げている原審の検証の結果は、寺西要の証言を排斥する資料となり得るや否やを考えるに、原審の検証は、本件の公訴事実である、被告人両名が労働省内の全労働省労働組合連合事務局事務室内において寺西要に暴行傷害を加えたという事件(以下本件事件と略称する)の発生した昭和三十年十二月三日から約一年八ヶ月後である昭和三十二年八月八日及びそれより約十ヶ月後の昭和三十三年六月七日にそれぞれ施行されたものであるが、それより以前、本件事件発生の日から二十日を経た十二月二十三日に丸の内警察署司法警察員高橋源次郎が本件現場の検証をし、その検証調書(図面、写真共、以下同じ)が原審において証拠として提出された適法な証拠調がなされているのであり、そしてその検証調書と原審の検証調書との内容に相当重要な相違が数点あり、即ち両検証調書を比較対照すると、(一)原審調書によれば、事務室入口より入り直ぐ左側、原判決のいわゆる甲通路と平行に左側に新聞掛があるが、司法警察員の調書によれば、新聞掛は入口より入り直ぐ右側の窓際に甲通路とほぼ直角に寄せてあり、(二)原審の調書によれば、甲通路の右側の状差箱の前に、甲通路を隔ててプラカード約三点があるが、司法警察員の調書には右のようなプラカードがない、(三)原審の調書によれば右状差箱とプラカードとの間の甲通路の幅員は三十五糎、そのプラカードの前を過ぎた処の甲通路の幅員は六十糎となつているが、司法警察員の調書によれば状差箱のある処及びその奥の甲通路の幅員は八十糎となつており、(四)スチーム放熱器前の甲通路の幅員は原審調書では九十二糎、司法警察員の調書では一米二十糎となつている。

原判決はかように相違のある両検証調書のうち原審の検証の結果を採り上げ、寺西要の証言するように被告人両名が寺西の左右からその両腕を掴まえて入口扉の処から奥の方に引き戻すためには、幅約三十五糎のところを通過しなければならないからこれは不可能であると判断している。しかし右事務室の机、椅子、新聞掛、プラカードその他の物件の所在、配置、位置、通路の幅員等が原審の検証当時と本件事件の発生当時と同様であることを認め得べき資料が全然ないにも拘らず、何故に原審の検証の結果を他の証拠価値の判断資料、延いては事実認定の資料に採用したのか、その理由については原判決には何らの説明もなく理解に苦しむ。司法警察員作成の検証調書は、事件発生の日に近接した二十日後になされた検証の結果の記載であり、原審の検証は前記のように一年八ヶ月以後になされたものであるから、特に原審の検証の際の状況が、事件発生当時の状況と同様であり、司法警察員の検証調書はその当時の状況と相違することを認め得べき資料がない限り、むしろ事件発生の日に近接した日になされた後者の検証の結果が、事件発生当時の状況と同一ないしはこれに近いものと認めるのが条理上当然であろう。殊に当審の証人寺西要の証言及び労働省会計課調度班第一係の日誌によれば、右事務室は昭和三十二年四月三日から同月八日までの間に、室内の壁、天井の塗装換、螢光灯の取付工事等のため、内部の机、椅子等を全部別室に移し、工事終了後再びこれを搬入して配置した事実が認められるから、本件事件発生当時の現場を明らかにする資料としては、原審の検証の結果は前記司法警察員の検証の結果と比較し、その証拠価値ははるかに乏しいものといわざるを得ない。そして司法警察員の検証調書によれば、本件事件の際寺西要が被告人両名に両腕を掴まれ入口扉の処から甲通路を通り奥の方に引き戻されることは、右三者の位置、姿勢の如何により決して不可能事とは認められないのである。

また原判決は、原審の検証の結果に基き、スチーム放熱器の高さ、厚さと寺西要の身長等からみて、寺西が奥の方に押しこまれたとすると、同人はスチーム放熱器に腰をかける恰好となり、背後の硝子戸に後頭部を打突けるようになるとして、同人の左腰部を右放熱器に打突けることはあり得ないという趣旨の判断をし、また若し同人が左腰部を打つたとするならば、机又は椅子等に打突ける可能性があるといつているが、仮に右スチーム放熱器の高さや厚さ等が原審の検証のとおりであり、寺西の身長、腰部の高さなどが原判決のいうとおりであつたとしても、事件当時左腰部を放熱器に打突けるかどうかは、その際における寺西の姿勢及び動作如何によるものであつて、その瞬間の寺西の姿勢、動作を明らかにしないで単に算術的計算により事を断ずるのは合理的な正しい判断とはいえないし、なお前記のように、机椅子の所在、配置状況が原審の検証当時と、本件事件発生の当時と同一と認むべき根拠がないばかりでなく、寺西がその際机や椅子に腰を打突けたという確証もないのであるから、原判決の右判断は根拠のない想像の域を脱しないものというのほかはない。

次に原判決は寺西要の証言及び為田清の証言の各一部分並びにカルテを引用し、為田清の作成した寺西要に対する診断書の記載内容は証拠に供し得ない旨判断しているのであるが、この点の原判決の説明は、単に右診断書が証拠価値がないからこの診断書によつては寺西がこれに記載されているような傷害を受けた事実が認められないという趣旨なのか、右診断書は寺西が被告人両名から暴行傷害を加えられた証拠にならないという趣旨か、あるいはまた右診断書も含めて寺西が傷害を加えられた事実を認むべき証拠が全然ないという趣旨までいつているのか、判文が簡単に過ぎその趣旨が不明であるが、証人為田清の原審公判における二回に亘る証言の要旨(寺西の傷害及び診断書に関し)は「寺西を診察した時、左上膊屈側下三分の一に三ヶ所、上三分の一に一ヶ所合計四ヶ所の二・五糎×三糎の皮下出血あり、また右上膊屈側にも径二・五糎の皮下出血一ヶ所あり、左上膊部の下三ヶ所の溢血は殆ど真横に平行したような出血感である、手の跡ではないかと思つた、寺西のこの傷は出血といつてよいか、溢血といつてよいかわからないが、点点ではなくべつたり出血したような感である。つねつてできた傷よりは強い、左腰部は外見上の変化は見当らなかつたが、本人が痛みを訴えていたので打撲と認めた、寺西の診断書に書いてある傷は打撲傷というべきかどうか医学的に厳密な意味ではわからない、あるいは挫傷というかも知れない、あるいは打傷といえるかも知れない」というのであつて、カルテの記載も右証言と同趣旨の傷害状況を記載している。即ち為田証人の証言は、寺西を診察した時、同人には診断書記載のとおりの左右上膊部に五ヶ所の皮下出血あり、左腰部に打撲傷があつた、右皮下出血は厳密な意味で打撲傷というか挫傷というか判然とはわからないが自分は一応打撲傷と認めて診断書を書いたという趣旨であり、この証言によつても、また右証人の作成したカルテの記載によつても、診断書記載の傷害の存在について何ら疑わしい点はなく、右診断書は寺西が同証人の診察を受けた時、これに記載されているとおりの傷害が存在していたことを十分証明し得るものといわなければならない。原判決は寺西要の「私自身は診断の必要を認めなかつたが、会計課長が診断書を作つておけと言つたので診療所に行つた」との証言を引用し、右診断書が証拠価値がないものであることの資料としているが、右証言は診断書作成の経緯に関する事実を述べたに過ぎず、作成された診断書の内容の証拠価値には何ら影響を及ぼすものではない。従つて右診断書を採証の用に供し得ないとした原判決の判断は誤というべきである。

原判決は右のように証拠価値に乏しい原審の検証の結果を採り上げ、十分な証拠価値ある医師為田清の診断書を排斥したうえ、更にまた証人寺西要の反対尋問に対する供述や態度をあげ、人事院の労働省事案口頭審理における速記録謄本に照し、本件事件に関する同証人の証言全部を排斥しているのであるが、証人寺西要は、人事院における口頭審理においても、また原審公判においても一貫して次の事実を明瞭に証言しているのである。即ち同証人は「昭和三十年十二月三日午前十時過ぎ労働省内にある全労働省労働組合連合会事務局事務室において、被告人田中上及び内藤勤その他から前日同省建物正面に掲げた懸垂幕を除去したことについて激しい抗議を受けたこと、その際事務室内には被告人両名のほか宮川、竹内その他の者が居たこと、抗議に対して応答している最中、被告人内藤が寺西に対し、君も懸垂幕と同じ様に首に繩をつけてぶらさげてやるといつたので、寺西はそんな暴言をいうならもう自分は話はしない、帰るといつて入口扉のところまで来たところ、まだ話があるといつて田中と内藤が背後から来て二人で寺西の左右の腕を握り奥の方に引き戻し、前に廻つて胸をついた、寺西はスチームの処に押しつけられ、その時はスチームに左腰を打ち突けた、内藤が顔を押したので後頭部を背後の窓硝子の窓か壁に打ちつけたこと、同室を出てから三階の業務課の部屋に入つたところ、田中、内藤、宮川の三名があとからついて来て腰かけ、内藤が寺西に対し落ちていたのを拾つたといつて寺西の腕時計を出したこと、寺西が自分で寺西だと名乗つた後、田中、内藤に名前を聞いたら、内藤がいう必要がないといつて答へなかつたこと、三人が部屋を出てから寺西は腕や腰が痛いので隣の業務課長室に入り、洋服の上衣、チヨツキ、ワイシヤツを脱いでみたら、ワイシヤツのボタン一個が取れており、メリヤスシヤツの頸の部分が破れており左上膊部に四ヶ所、右上膊部に一ヶ所の皮下内出血があり、左手首に二本の擦過傷ができていたこと、寺西はそれから直ぐ秘書課長室へ行き、有馬課長に会い組合事務局内の右状況を逐一報告したこと、寺西は以前から田中上、内藤勤の顔は知つて居り、また組合幹部の中に田中上、内藤勤という氏名の者の居ることも知つていたが、その顔と名前とを一致して知つていなかつたので、当日暴行を加えた二人が田中、内藤に該当することは、右事務室内で話したり暴行を受けた際は判らなかつた、それで秘書課長に報告した時は暴行した二人の人相、風体を話して報告したところ、課長は田中上と内藤勤かも知れないといつたこと、五日後の十二月八日、労働省大手町庁舎前で組合員の坐り込があり、その中に寺西が暴行を受けた二人が居たので、これを見た寺西は傍に居た千葉事務官、佐藤事務官に二人の名前を聞いたところ、佐藤事務官がその二人が田中と内藤であることを教えたので、初めて名前と顔とを一致して知ることができたこと、そしてその時撮した坐り込の写真を見せられたので、自分が暴行を受けた両名が内藤、田中であることを確認し、この旨を同日秘書課長と会計課長に報告した」と証言しているのであつて、寺西証人の右証言は終始一貫、殆ど変るところはない。そしてまた原審証人有馬元治は、原審公判において十二月三日午前十一時四、五十分ころ、寺西要が直接自分(有馬)の部屋に来て、腕時計の革が破損して止金の処から外れていたのを手に持ちながら、事件の状況を報告した、左手首の処に擦過傷があり、左の腕を上膊部の内側までまくり上げて、そこに内出血のような赤い班点のあるのを見せた、傷害を加えた人が二人であること、顔は寺西の話を聞いて大体想像していたが、一人はジヤンバーを着ている面長な人、一人は眼鏡をかけて髪をバサバサにしているという報告を受け、大体想像はついていた、寺西の報告を聞いてから自分は安田事務官、青木事務官、人事を担当している千葉君と四人で色々相談した、組合関係の事務所の中に常に出入しているのは幹部の諸公で、その中から寺西の報告による二人について相談をしたのだが、その時大体田中、内藤の両君だろうという想定ができた、ジヤンバーを着た面長の方が内藤君で、眼鏡をかけバサバサの髪をした方が田中君だと推定がついた、人事担当の千葉君が一番はつきり推定、間違はないという意見を述べた、報告を受けた当日は自分は確信的な段階に至つてない、自分は一応そうかも知れぬと聞いていた、最終的には十二月八日労働省玄関わきに全労働が坐込をした時、寺西が現実に田中、内藤の二人が立つている処で、これとこれに間違がないということを確認し、最終的に自分の確認を得た、五日(十二月)に寺西と会い話したことがあり、その時もう一度寺西から詳しい状況を聞き、千葉君あたりの話を参考にし、田中、内藤両君ではないかと寺西に話した、と証言している。前記寺西要の証言と右有馬元治の証言とを併せて考えると、寺西要が前記十二月三日、前記組合事務室内で、同人の供述するような経緯から暴行を受けたこと、その暴行を加えた者が被告人両名に相違ないことを十分認め得るものということができる。

原審の証人寺西要の供述調書中反対尋問の部分には、同証人の、懸垂幕をナイフで切るのを知つているとか知らないとか、ナイフを見たとか見ないとか、田中らに背後から引戻される時に田中が声を出したとか出さなかつたとか、あるいは、部屋の奥で頭を押したのは内藤であるとか、二人の中の一人であるとか、額を押されて後頭部を打つたのは壁であるとか、窓であるとか木であるとか、その他一、二の前後一致しないような、あるいは曖昧なような供述があるが、本件事件発生の日が昭和三十年十二月三日であるのに、寺西要が人事院の口頭審理において証人として陳述しているのが一年七ヶ月後の昭和三十一年七月及び八月であり、原審公判において証言したのが昭和三十三年六月であつて、その間二年ないし三年六ヶ月の長期間を経過しているのであり、また調書の内容からその都度、尋問時間が長時間にわたつていることも窺われるのであるから、日時の経過や、疲労から、あるいは忘却、記憶違い、言い違いということも有り得るし、原審の同証人の供述調書の記載内容から察知される反対尋問当時の雰囲気内において、証人が興奮して感情的な発言をしたり、態度を示したり、また混乱して前後横着の供述をしたりしたことも認め得るのであるから、すくなくとも本件においては、同証人の反対尋問に対する供述の片言後句に一時的な矛盾、曖昧の点があつたとしても、これを捉えて前後二回に亘る不動の一貫した前記証言の全部に信用性なしと断定することは、事の本末を顛倒するものであつて正当な証拠価値判断とはいえない。

原判決はまた寺西証人や有馬証人の証言の一部をあげて、寺西に暴行を加えた者が被告人両名であると判断を下すにあたつて、有馬ら及び寺西に多分しま臆測がはたらいていたと察知するといつているが、右両証人のこの点に関する証言は、原判決が摘録するような簡単、単純なものではなく、前記のように詳細を極めた内容を陳述しているのであり、同人らが暴行者を確認するまで相当慎重、綿密な調査をした事実も右証言によつて知り得るのであつて、同人らが暴行者が被告人両名であると断定したのは原判決のいうような単なるしま臆測ではなく、確実適切な根拠に基いたものと認めることができる。

そして前記証人為田清の証言、同人の作成した寺西要に対する診断書及びカルテの記載により認められる寺西要の傷害の部位、形状、程度と、寺西要及び有馬元治の前記各証言を総合すると、寺西要は被告人両名の前記暴行により右診断書に記載されているとおりの傷害を受けた事実も明瞭に認定することができる。

なお原審証人佐藤香、川久保秀夫、来栖啓三郎の三名は、被告人らの前記暴行を否定するような証言をしているが、前記原審証人有馬元治の「自分は三十年十二月三日労働省内で発生した寺西要に対する傷害事件につき、この事件の事実関係を糺明しようと思い、前後三回に亘り組合の委員長熊川を呼び、暴行の事実、暴行をした者について関陳方を要請したが、組合側は結局暴行そのものを否認し、従つて加害者は言わないという言い分であつた、それで十二月十日告発したが、同月二十二日、委員長と田中、内藤、大坪ら合計三十名ばかり自分の部屋に来て、寺西が組合の者と口論して自分でつまづいて転んで机の角に打突かつて怪我をしたという主張をし、告発の取下を要求した、それまでは組合側からそういう主張を聞いたことはなかつた、自分は初のうち黙つて組合側の言い分を聞いていたが、今の主張を再三くり返すので、最後に自分も少し腹を立て「でたらめいうな、男らしくないぞ」ということを一喝した、その後は言い争いはせず、結局「男らしくないぞ」という一喝に対しては、その後空気がしゆんとしてそれ以上交渉は持たずに終つた、組合側の言い分は、寺西が転んで怪我をしたということも有り得るではないかという主張が強かつた」との証言、寺西要の傷害に関する前記証人為田清の証言及び同証言により明らかな寺西要の傷害の位置、形状と、右証人佐藤香ら三名の証言とを彼此対照して考えると、右佐藤香ら三名の証言はにわかかに措信することができない。

要するに原判決は、前記のように、本件公訴事実を証明し得べき証拠がないと判断しているが、これは証拠の取捨選択を誤り、事実を誤認したものである。もとより証拠の証明力は裁判官の自由な判断に委ねられているのであるが、この自由心証は裁判官の恣意を意味するものではなく、論理の法則、経験則に基く合理的なものでなければならない。然るに原判決の証拠の価値判断は、前記のように明白に経験則に反するものであつて正当な自由心証とはいえない。そして原判決の右事実誤認は明らかに判決に影響を及ぼすものであるから、検察官の論旨は理由があり、原判決はこの点において全部破棄を免れないものである。

よつて刑事訴訟法第三百九十七条、第三百八十二条に則り原判決を破棄し、同法第四百条但書に従い、当裁判所は自ら次のように判決する。

(罪となるべき事実)

被告人両名は、昭和三十年十二月三日午前十時過ぎころ、東京都千代田区大手町一丁目七番地労働省内全労働省労働組合連合会事務局事務室内において、共謀のうえ、同省会計課勤務労働事務官寺西要(当時四十八才)に対し、同人が前日上司の命により、右組合が同省建物正面にかかげた懸垂幕を部下に除去させたことを不当であると抗議難詰したうえ、同人の両腕を握り、その胸を押すなどの暴行を加え、よつて同人に全治約五日を要する左右上膊部屈側五ヶ所の皮下溢血、左腰部打撲の傷害を負わせたものである。

(法令の適用)

被告人らの右判示所為は刑法第二百四条、第六十条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するから、所定刑中罰金刑を選択し、所定金額の範囲内において被告人両名を各罰金五千円に処し、刑法第十八条により右罰金を完納することができないときは、金五百円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置することとし、原審の訴訟費用は、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文、第百八十二条により全部被告人両名に連帯負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 加納駿平 久永正勝 太田夏生)

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